大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)7525号 判決 1972年1月13日

主文

被告人は無罪

理由

一、本件公訴事実は次のとおりである。

「被告人は、昭和四五年一〇月一九日午後三時四〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、東京都杉並区高井戸東四丁目七番二四号先の交通整理の行なわれていない交差点を、東方から進行してきたその中央付近で一時停止した後、北方五日市街道方面に向かい右折しようとした際、当時西方から東方に向かい対向してきた数台の自動車が、相次いで同交差点直前で道路中央線寄りに停止して自車の右折を待つ状況になつたが、これら停止車両のため、その左側方を進行してくる車両に対する見とおしが困難となつたのであるから、右停止車両の左側方が見とおせる位置まで進出した際一時停止し、同方向の交通の安全を確認してから再度発進して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右安全を確認しないまま漫然時速約五キロメートルで右折進行した過失により、右停止車両の左側方を東方に向つて直進してきた板屋雅晴(当時二〇年)運転の原動機付自転車に自車を衝突させて同人を路上に転倒させ、よつて同人をして頭腔内損傷により、同月二七日午後六時三〇分ころ、同区浜田山四丁目一番三号所在の樺島病院において死亡するに至らせるものである」

二、これに対し、本件各証拠を総合すると、次のような事実を認めることができる。

1、被告人は前記日時ころ、大型トラック(いすず四〇年式六トン車)に鉄製パイプ足場二五〇本を積載し、助手席に助手藤田修二を同乗させ、同車を運転して前記交差点にその東方から進行してきて、同交差点を北方五日市街道方面に右折しようとしたが、同車の車体も積荷も黄色であり、車高は2.42メート ル、積荷を入れての高さは約3.5メートルあり、積荷は荷台いつぱいに真四角に積まれていて、遠方からでもその存在は認識しやすい状態であつた。

2、被告人は前記交差点を右折しようとして、司法警察員作成の四五年一〇月二〇日付実況見分調書の現場見取図の①地点で、右折の合図を出し、センターラインに添つて若干進行し、同交差点中心付近の同図②地点で車体をやや右斜めに向け、前部がセンターラインをわずかにはみ出す状態で一時停止し、西方から来る対向車の通過が多かつたので、そのとぎれるのを待つていた。被告人としては、西方約五〇メートル先の交差点に信号機があるので、それが赤になれば対向車はとぎれるから、それから右折しようというつもりであつた。

3、そして間もなく、対向車線を走つてきた一台の小型乗用自動車が本件交差点直前で一時停止し、その運転者が被告人側に対し先に右折せよと手で合図をしたので、被告人はその相手に右手で会釈して発進操作をし、ハンドルを右に切り、時速約五キロメートルで右折を開始したが、その際右停止してくれた対向車の後方に数台の乗用車が連続して停止しており、その左側方は約1.6メートルの幅員を残していて、原動機付自転車類の通行は可能な状態であつて、被告人車両の運転席から見て右連続停止した車両の屋根から下の部分は視野を妨げられるが、被告人車両の運転席は高いので、原動機付自転車に乗車した人の首から上の部分は視認可能であり、また連続停止車両の後方は前記約五〇メートル先の交差点付近まで見とおしが可能であつたけれども、被告人も助手の藤田もその視野(西方吉祥寺方向)内に被害車両を認めなかつたので、右藤田も被告人に「いいよ」と発進を促す合図をし、被告人は右折は安全だと安心して右折を開始したものであつた。

4、ところが右折を開始して約4.5メートル進行し、被告人車の運転席が前記現場見取図の③地点付近にきたとき、被告人は前記連続停止した対向車の左側方の車線を、原動機付自転車に乗車した被害者雅晴が相当なスピードを出して(時速約四〇キロメートル以上と思われる)直進してくるのを約16.6メートル先に発見し、危険を感じて直ちに制動をかけ、前記③地点に運転席がきた位置で停止したが、右板屋は脇見をしていたのかそのままの速度で突込んできて、被告人車の停止後やや遅れて同図×地点で被告人車前部に衝突し、路上に転倒して頭部を強打し、その結果公訴事実記載のように死亡するに至つたものである。

5、なお、衝突地点の前記×地点は、車道側端の線から約七〇センチメートルを余すだけであるが、被告人車(運転席)が停止した③地点は、同車のボンネットが運転席から約二メートル先に出ている関係で、そこまできても前記被害車両発見地点(前記見取図の地点)付近の路面の見とおしは一部可能であるにすぎず、(原動機付自転車に乗つた人の姿は、肩ないし胸から上だけが見える。検証調書の写真8参照)③よりさらに若干前に出て、はじめて停止中の対向車の列の左側方の完全な見とおしが可能となる状況にあつた。また、右地点のそばの歩道上にバス停の標識があるが、右標識から前記信号機のある交差点の角までは、約三七メートルの距離がある。

三、そこで、以上の事実によつて考えると、公訴事実のように被告人が「停止車両の左側方が見とおせる位置まで進出した際一時停止し、同方向の交通の安全を確認し」ていたとしても、それは前記③地点よりさらに前に出ることなるから、本件被害者のように右側に連続停止している乗用車があることや、その先に交差点があること、さらに右状況から対向車線から右折してくる車があるかも知れないことになんら考慮を払わず、約四〇キロメートル以上と思われる速度で盲進してくる車両に対しては安全確認方法となり得ず、衝突はなお不可避であつたといわざるを得ないのである。したがつて、公訴事実のような注意義務をつくしたとしても事故は不可避であつた(むしろ被告人はそれより早い段階で被害車両を発見し、直ちに停止していると認められる)と認められるので、被告人に右のような注意義務を怠つた過失があると認めることは不可能である。

しかし、被告人にそれ以前の段階で過失が認められないかをさらに考えると、問題になるのは右折開始当時において被害車両を発見していなかつたことであり、前方対向車線への注視をつくせば右折開始時において、すでに被害者両を発見できたのではなかつたかということであるが、被告人車は右折開始時から前記③地点まで約4.5メートルを時速約五キロメートルで進んでおり、その間秒速約1.39メートルで約3.2秒を要し、発進操作の時間も入れると少なくともその間に約3.5秒を要したと見るべきところ、被害車両は右③に対応する地点から、時速四〇キロメートルとして秒速約11.11メートルであるから約3.5秒前には約38.88メートル先の地点を進行していたことになり、その場合は前記信号機のある交差点内にいたと推認されるが、四〇キロメートルよりもつと早い速度であつたとすれば、右距離よりもつと遠い地点にいたことになり、その可能性はないとはいえない。

そして、右後者の場合であつたとすると、被告人が被害車両を発見しなかつたのは無理もないというべきであるし、右前者の場合であつたとしても、右折開始の前記②地点から前記被害車両の推定所在位置までは約五五メートル以上あると認められるから、もし被告人がその地点に被害車両を発見していたとしても、対向車線に数台の乗用車がすでに停止していることであるし、その状況からして少なくとも相手は本件交差点手前で徐行してくれるであろうと考えて右折を開始しても、その行為に過失があると認めることは困難というべきであり、結局、被害車両を発見していたとしても、これにつながる危険な結果予見義務ないし回避義務があつたと認めることは困難であるから、前記右折開始時点において被告人に過失があつたことも、これを積極に認定することはできない。

四、以上の次第で、本件公訴事実はその犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、被告人には無罪を言い渡すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(和田保)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例